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長崎簡易裁判所 昭和34年(ろ)388号 判決

被告人 横田幸保

大一〇・七・三〇生 工員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は起重機運転の業務に従事しているものであるところ、昭和三三年一月六日午前一〇時頃長崎市西立神町三菱長崎造船所第二船台の五〇屯起重機を運転し、同船台において建造中のタンカー船に同所第九番柱附近から第七番柱附近に資材を運搬し第九番柱に引返そうとしたのであるが、当日は早朝より同所走行レール附近に臨時工林田祐享(当時一八年)外七名位が鉄骨の錆落し、ペンキ塗り作業に従事中であつたから、斯かる場合起重機運転者としては下方の船台作業現場を注視すべきは勿論、起重機走行レール附近をも注意し、予め作業員を退避せしめる等その安全を確認した上運転し、以つて事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず之を怠たり、漫然進行した結果、前記林田祐享を後方より同起重機北側サドルと鉄骨との間に挾み込み、因つて同人をしてその頃同市飽の浦町同造船所病院において顔面頭部挫滅創腰部圧挫傷により死亡するに至らしめたものである。

というにあり。

証拠を検討すると、

被告人は三菱長崎造船所に輔工として勤務し起重機運転の業務に従事しているものであるが、昭和三三年一月六日午前一〇時頃長崎市西立神町三菱長崎造船所第二船台において建造中の四万五千屯タンカー船の略中央部辺りに資材を運搬すべく、同船台九番柱附近から約五七メートル離れた七番柱附近に向つて五〇屯起重機を運転発進せしめたのであるが、当時九番柱附近で鉄骨の錆落作業に従事中であつた下請会社である第一商工株式会社の臨時工林田祐享(当時一八年)が起重機の走行レール附近にいたことを気付かずそのまゝ進行したことにより、起重機と九番柱鉄骨との間に同人をはさみ込み轢過し、因つて同人をしてその頃同市飽の浦町同造船所病院において顔面頭部挫滅創腰部圧挫傷により死亡するに至らしめたことを認めることができる。

よつて被告人の過失について検討する。

第二船台は、全長二五四メートル高さ約五四・五メートル巾約四〇メートルの鉄骨によつて組成された建造物で、多くの支柱により縦横に支えられた鉄柱が一番から一一番まで左右に各竝立しており、この鉄柱に地上三八メートルと四五メートルの高さをもつて上下二段にレールが架設せられ、三八メートルの高さに架設せられたレール(以下これを下部レールという)上には五〇屯起重機二台、四五メートルの高さに架設せられたレール(以下これを上部レールという)上には二〇屯五屯の起重機各二台が走行する如く設備せられたものにして、起重機の走行レール附近は立入禁止となつており、通常何らの作業も行はれず歩行するものもないのであつて、特に作業又は歩行しなければならないときは事前に起重機の運転者に対しその旨連絡しておかなければならないものであり、一方起重機運転の操作は、資材の吊揚げ走行吊降し等すべて地上からなされる玉掛係工員の合図に従つてなされるもので、運転者はこの合図を確認した上資材を吊揚げているときはその物およびロープを、資材を吊つていないときはこれを吊るべきロープを船台の組成物、船台上の物および人竝に同一船台上の他の起重機に接触せしめないことを確認しつゝ運転しなければならないものであることが認められるから、かゝる起重機運転の業務に従事するものは、その船台中において鉄骨の錆落しペンキ塗装等の作業がなされるものであることをあらかじめ抽象的に或は一般的に知つていたとしても、具体的に自己の運転する起重機の走行レール附近において作業、歩行する旨連絡を受けるか又は、連絡なくてもこれを知つていた場合を除いては、起重機の運転にあたり、走行レール附近において作業、歩行するものゝ有無の確認又は走行レール附近に対する注視をしなければならない義務はないと解するのが相当である。

そこで七番柱附近から九番柱附近の間の下部レール附近において公訴事実記載の如き作業が当日なされるものであることを被告人が知つていたか調べると、検察官作成の中村武夫の供述調書によれば「正月五日の初仕事の日に作業場の溜り場で御神酒を呑んでお互に怪我しない様に話し合つた際私はその日出勤した部下の者達一八名(被告人を含む)にここは塗装工事をやつているから注意してやつてくれというような注意をしました、それは私とすればこの第一二船台については前述の様な錆塗装工事をやつていましたから下の方の荷物のみならず上方の走行についても充分注意して之等請負業者のもとで働いている作業員に対し怪我をさせない様にやつて貰いたいという気持で話したのです」との供述記載があり、これによれば第一二船台の鉄骨の塗装工事が請負業者によつてなされるものであることが上司から被告人に告げられ、被告人も抽象的或は一般的にはそのことを知つていたことになるけれども、しかし、本件事故発生の日に七番柱から九番柱の附近の下部レール附近で作業するものであることが具体的に連絡されたものとは認め難く、証人中村武夫同高尾虎彦同杉本六治同迎早見同辻原慶太郎の当公廷における各供述証人森本時次郎同中尾市松同中村武夫の各尋問調書および第一ガントリー塗装工事および第一二ガントリー腐蝕部補修工事に関する特別安全委員会議員録を綜合すれば、第一商工株式会社が第一二船台の鉄骨腐蝕部補修の請負工事を施行するについて、昭和三二年一二月一一日三菱長崎造船所との間に安全に関する協議会が開催せられ、その結果第一商工株式会社においては右工事の内起重機走行レール附近の工事は昼食時間その他起重機の走行しない間に主として行うことゝなし、なお安全を期するため工事区間に赤旗を立てゝ工事中であることを明示するか又は作業員のために起重機の走行について見張人を置くことになつたもので、そのことは当時被告人ら起重機の運転者に対しても上司から伝達せられていたのであるが、第一商工株式会社はかゝる措置をとることなく漫然被害者ら従業員をして作業せしめ本件事故が発生するにおよび急遽右協定事項を実施したに過ぎず、本件事故発生の日に被告人の運転する起重機の走行レール附近で作業するものであることの事前に連絡されていたことを認めるに足るものではない。

次に検察官作成の被告人の供述調書によれば「その朝八時頃私がクレーンを運転する作業にかゝる時第一船台第二船台の附近に二人ばかりペンキ屋さんが鉄骨の錆落し作業をしているのを知つて居りました」との供述記載があるが、ペンキ屋を現認したとする時刻の点について後記司法警察員作成の被告人の供述調書と同様に若干の疑いある外、現認したとする場所は第一、二船台の附近というのであつて、第一船台は第二船台と隣接しているがその規模は第二船台と略同様である点からみて現認場所としては余りにも漠然としておりこれをもつてしては到底第二船台の七番柱から九番柱附近の下部レール附近であることを認定することはできないものというべく、この点司法警察員作成の被告人の供述調書によれば「私の運転する第二船台には本年一二月初旬以来ガントリ全体のペンキ塗替を第一商工株式会社の工員さんが請負つて毎日作業をして居ります私は本月三日からこのクレーンを動かす様になつてそのことはよく知つておりました、今やつて居りますのは私の運転するクレーン、レールの上部鉄柱の錆を落し赤ペンキを塗つて居り私の運転によつてクレーンが移動するのに近くにいて仕事をされますので非常に危険な状態にあるのです(中略)私もこの作業を知つていたし、本月四日も組長の中村武夫さんに現在上の方で作業をしているから運転するときは事故のない様に注意してやつてくれと注意され私も充分この作業は気をつけて仕事をしておりました。(中略)本日は午前八時第二船台の五〇屯クレーンの運転にかゝりました、第一商工の作業員も午前八時過ぎから第一船台と第二船台との間にある第八九一〇柱のレール附近に二、三人ペンキ塗をしているのが目についておりました」との供述記載があるが、これをもつてするも現認したとする作業位置が八番柱から一〇番柱附近の間の上部レール附近であるのか下部レール附近であるのか必ずしも明かとはいえないのであるが、仮に供述全体の趣旨からみて下部レール附近であるものとしても、証人森本時次郎の尋問調書および被告人の当公廷における供述を綜合すれば、被告人が作業を開始したのは当日午前八時一〇分頃であるが、第一商工株式会社の工員が作業を開始したのは午前九時頃からであることが認められるから、被告人が作業を開始した頃第一商工株式会社の工員が八番柱から一〇番柱附近の下部レール附近ですでに作業をしていたものであるかこの点についても若干の疑問があり、従つて右供述記載部分も直ちに以つて採用し難いものといわなければならない。しかして検証の結果によれば、九番柱の下部レール附近において作業していることは、起重機がその附近にあるときはその構造上全くこれを見ることができないが、七番柱附近およびそれより九番柱方向に進行する途中においては鉄骨により妨げとならない部分は見ることができるし、本件事故が発生するまでの間に尠くとも三往復していることは被告人の当公廷における供述によつて明かであるのでこれらの点を綜合すれば、被告人が運転を開始した後本件事故が発生するまでの間に或は被害者の存在を認めていたかも知れないことは推認することのできないものではないとしても他に証拠がない限りこれのみをもつて断定することはできない。

以上の如く被告人は、第一商工株式会社の工員が第二船台の鉄骨の錆落しペンキ塗装の工事をするものであることを抽象的に或は一般的には知つていたものであることを認めることはできるけれども、しかし、本件事故発生の日に七番柱から九番柱附近の下部レール附近でその作業が行はれるものであることを具体的に知つていたことを認めるに足るものがないから公訴事実については結局その証明が十分でないことに帰する。

よつて刑事訴訟法第三三六条に従つて被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 宇戸孝正)

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